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札幌簡易裁判所 昭和51年(ろ)238号 判決

被告人 津川吉郎

昭五・五・二二生 鉄工下請業

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五一年八月八日午後三時五〇分ころ、札幌市中央区北一四条西一九丁目札幌競馬場一階一三〇号館第六一番二〇〇円券勝馬投票券発売窓口前において、観客の山谷卯三郎の右後方に寄り添い、同人のズボン右ポケツトからはみ出していた勝馬投票券一枚を有効な勝馬投票券と思いすり取つたが、それが「財物」でない不的中投票券であつたため、窃盗の目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二四三条、二三五条に該当するが、右は未遂であるから同法四三条本文、六八条三号により法律上の減軽をし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。

(窃盗未遂罪を認定した理由)

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、判示日時ころ、判示場所において、山谷卯三郎の右後方に寄り添つて、同人のズボン右ポケツトからはみ出していた同人所有の勝馬投票券一枚をすり取り窃取したものである。

というのである。

およそ窃盗罪の客体となる財物とは、財産権とくに所有権の目的となりうる物であつて、必ずしもそれが金銭的ないし経済的価値を有するを要しないこと夙に最高裁判所判例の示すところであるが、しかし、少くともそれらの権利の客体として刑法上の保護に値いする物でなければならないと解すべきであるから、その物が社会通念にてらして客観的にも主観的にもなんら価値を有しないか、あるいは、その価値が極めて僅少な物は、もはやこれに刑法上の保護を与えるべき理由がなく、窃盗罪の客体としての財物に該当しないと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、前掲各証拠によれば、被告人が判示日時場所において、被害者山谷卯三郎からすり取つた勝馬投票券(以下馬券という)は、同日開催の日本中央競馬会主催昭和五一年第二回札幌競馬第八レースの連勝式勝馬番号一―五の馬券(二〇〇円券)であるが、当日の第八レース連勝式勝馬番号は、一―四に確定していたこと、そして被告人が山谷から本件馬券をすり取つたのは、右確定後の第九レースの投票が締切られる直前であつたこと、したがつて右犯行時には、本件馬券は、すでに、勝馬番号の的中を逸したいわゆる「はずれ馬券」であつたことがそれぞれ認められる。

ところで「はずれ馬券」は、それ自体なんらの使用価値も認められず、また、これが他人の手に渡つて悪用されるというものでもない。そして通常は、レースの終了後に所持者によつて投げ捨てられるところ(公知の事実)の一紙片にすぎないのであるから、社会通念上、これに客観的価値を見出すことは困難であるのみならず、山谷卯三郎の司法巡査に対する供述調書によれば、山谷は当時、本件馬券を自己の右ポケツトに入れていたものの、「そのうちに投げようと思つたが、第九レースのことを考えていて、つい投げるのを忘れてしまつた」あるいは、「ポケツトの中を調べたところ、投げ忘れていた第八レースの一―五の馬券が二枚しかはいつておらず、盗まれたことがわかつた」等と供述し、本件犯行時には、これを投棄する意思を有していたことが認められるので、本件馬券は、山谷にとつてはすでに必要性がなく、主観的価値も存在しなかつたものと考えられる。

してみれば、本件馬券は、もはや刑法上の保護に値いする物とはいえず、窃盗罪の客体たる財物には該当しないと解すべきである。結局、被告人は、本件馬券を有効な馬券と思い、山谷からすり取つたが、それが財物でない「はずれ馬券」であつたため窃盗の目的を遂げなかつたもので、右所為は、窃盗未遂罪を構成するにとどまると解するのが相当である。

(裁判官 丹羽喜太郎)

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